2018年4月5日木曜日

「わ」江戸川柳 色は匂へ & いろはカルタ随想


江戸川柳 色は匂へ 「わ」 笑い

 腹の立つ時はわらいに念を入れ

 江戸の人も笑いの効用を知っていたのだ。笑いたくて笑うのではなく意識的に笑うことによって腹の虫がおさまる。

 現代はその効用を科学的に研究している。吉本興業の協力を得て「笑い」の前後の血液検査をしたところ、キラー細胞ががん細胞を破壊攻撃して、がんに対する抵抗力を高め、免疫力も改善することを突き止めた。

 どうしても笑えない時は、表情だけで笑顔を続けるだけで「笑い」の効果が出るということである。

 ただちょっと気になることは、あまり笑いすぎると副作用として、小皺が増えるのでは。なんてことをつい思ってしまう。


「わ」の2 若後家(わかごけ)

若後家のふしゃうぶしゃうに子にまよひ   子のために生きるか、それとも。

若後家の剃りたいなどとむごがらせ     尼に、もったいない。

若い身で安請合の後家を立て   意地を捨てるべきか、女を捨てるべきか。

若後家のたよりになってやりたがり    ごもっとも、ごもっとも。



 いろはカルタ 「わ」 江戸と上方

割鍋にとぢ蓋(江戸)

『似かよった者どうしが結婚すること、自分に相応する配偶者を選ぶのがよいこと。』

 大概の夫婦は割れ鍋に綴蓋である。欠点だらけの人間の寄り集まりでこの社会は成り立っているのだから当然の帰結である。

 不完全な男と不完全な女が結婚して、お互いの不完全な部分を補い合って生活しているのが現実である。
 身内に自分大好き人間がいて自分は欠点がない最高の人間であると思い込んでいるので始末に困る。

 寅さんの「それを言っちゃーおしめえよ」という言葉を家族にも親戚の人にも友人にも堂々と言ってしまう。どんな神経の持ち主か理解に苦しむ。
 
一番苦しんでいるのは当人と思うのであるが。

笑う門には福きたる(上方)

〖和気あいあいとしてにこにこしている人の家には、自然と幸運がやって来るということ。〗

 近年、笑いの効果が科学の目を通して、証明されて世間の話題になっている。笑う前と笑った後の血液検査の結果、笑った後、ガンに対する抵抗力を高める細胞が増え、免疫異常も改善されるという。
 無理に笑わなくても笑顔を続けるだけでキラー細胞が増え、笑った後と同じような効果が出たという。

 「佐藤さんには、動きの激しい桂枝雀系の落語をまくらの部分だけを十分程度処方してください。」

 「小林さんには、圓楽系の人情話をたっぷり処方してください。」

 「浜嶋さんには、漫才を処方してください。笑いすぎると副作用で小じわが残るかもしれませんが、一晩で治りますから心配しないようにね。」
てなようなことになるかも






2018年3月31日土曜日

「お」江戸川柳色は匂へ & いろはカルタ随想


江戸川柳 色は匂へ 「お・を」 鸚鵡 

 引っこした先も隣にあふむが居

いつの時代も変わらずどこにでも放送局や新聞記者がいる。これが地域社会のコミュニケーションの原点でこの井戸端会議から居酒屋やカフエ、地方議会へと発展してきたわけである。
 今一度、井戸端会議を見直す価値があると思う。

井戸端へ人の噂を汲みに行

江戸時代、長屋の女房の楽しみの一つであった。

流石に現代は井戸のない社会になったので、スマホ片手に集まりやすい場所を意図的に設定するとよい。金がかからず楽しいおしゃべりのできる場を見つけよう。

コンビニへ人の情けを汲みに行く

そんなコンビニやスーパーがあると楽しい買い物ができるのになあ。


「を・お」の2 大一座(おおいちざ)

施主はまだ泣いてゐるのに大一座   よからぬ相談はすぐにやる。

大一座=川柳では多人数で女郎屋に登楼することをいう。葬式帰りや花見や夕涼みのくずれが多い。

町内のぎりさへすむと大一座      なにはともあれ義理とふんどしは。

大一座無理往生は数珠をもち      年寄りの冷や水、ポックリ行くかも。

その数珠はしまってくれと土手で言い  爺ちゃん、それはしまってよ。

人といふものは知れぬと大一座     集団心理は怖い。一人では出来ないことも。



 いろはカルタ 「を」 江戸と上方


 老いては子にしたがふ(江戸)

『年をとってからは、何事も子に任せ、それに従ったほうがよい。』

手も足となり起き上がる夏の朝   掌

隠居生活は年寄りの知恵かも、
  
鬼も十八(上方)

〖鬼も十八番茶も出花。鬼でも年ごろになれば少しは美しく見えるだろうし、番茶も出花(一杯目)が香りがよい。器量が悪くても、年ごろになれば少しは娘らしい魅力が出てくるものだ。〗

 結婚をするときはお互いにお互いの両親を確り観察することが大切である。番茶も花頃の娘も息子も人生の中で一番美しく見える年頃である。
 
その年頃の娘や息子の両親は五十歳代か六十歳代であろう。その両親の姿は容姿もものの見方や考え方も娘や息子の三十年後の姿である。
 
親と同じように親の後を追って成長し年を取っていくことは間違いない。
 
鏡に映る自分の姿を見て「ええっ」と驚いて声をあげてしまった。鏡の中に自分と同じ歳の頃の「父」が居るではないか。改めてじっくりと鏡の中の自分を眺めた。






2018年3月16日金曜日

「る」江戸川柳 色は匂へ & いろはカルタ随想


江戸川柳 色は匂へ「る」 留守居


踊り子に踊れと留守居むりを言い

 留守居は各藩の渉外担当者の俗称で正式には御城使いなどと言って幕府や他藩との折衝をする役なので宴会が多い。

 宴会で踊り子に接する機会が多い留守居役。

踊り子とは名ばかりで踊ることが出来ない踊り子がほとんどであった。田舎から出てきたばかりの新任留守居役は事情に詳しくないので踊れと言ってしまう。
 そのうちに踊り子の正体を理解でき田舎サムライは軟化していく。今も昔も同じような手を使って、酒と女と金にどっぷりと浸かって堕落していく汚職事件の始まりである。

 人事権と予算権を手にしたときに事件に巻き込まれる人が多いようである。特に公務員と政治家はくれぐれも注意を。気を付けたからと言って無くなるものではないが。

「る」の2 留 守(るす)

憎いこと辛子すってて留守と言い   あの音は辛子味噌、さては。

辛子する=辛子をすり鉢に入れて摺るのは辛子味噌の場合である。
     初鰹には辛子味噌が定番。

留守たのむ人へ枕と太平記    わかるわかる。退屈だもんね。

女房がるすで流しに椀だらけ   男所帯にウジだな。


いろはカルタ 「る」 江戸と上方


瑠璃も玻璃も照らせば光る(江戸) 途中で・・・「みがけば光る」に変化

『物は違うが、光を受ければともに輝く。』

 「照らせば光る」から「磨けば光る」どうして変化したのだろうか。時代の流れの中で人間の生き方が受動的から能動的に変わった時代を映し出しているのではなかろうか。

「瑠璃や玻璃」を客体とみなすか、主体とみなすかで「照らせばと磨けば」の表現に変化が起こる。
 照らされて物体は初めて光る。光が当たらないと物体は光らない。例え光が当たっても磨かれているかどうかでその光り方が異なってくる。

 人は一生のうちに何度かチャンスが訪れる。しかし、精神を磨いていなければ訪れたチャンスをチャンスとして受け止めることはできない。


類を以って集まる(上方)

〖類は友を呼ぶ。同じ傾向をもった者どうしは自然と集まる。〗

 政党をはじめ小さなグループに至るまで、よくもまあ似たような傾向を持った者が集まるものだ。

 「馬が合う」という言葉をよく耳にするが、馬の合うものが集まれば居り心地のよい仲良し集団になること確かである。

 しかし、異質なものを排除していては組織の発展は困難になるし、やがて日本国家の衰退滅亡につながっていくだろう。
 とは言うものの異質なものは排除したくなるのも人情で、せめて小さなグループぐらいはそれに越したことはない。ただ、公的な組織においては仲良し集団では真の発展や改革はできない。
 身近な集団を見てもそのことが分かるし、大きくは政治の世界を見ると一目瞭然の事実である。

俺とおまえは   一浪仲間
遊びほうけてネ  さくら散る  ダンチョネ


2018年2月28日水曜日

「ぬ」江戸川柳色は匂へ & いろはカルタ随想

 江戸川柳 色は匂へ 「ぬ」 糠味噌 

 ぬか味噌をきたながらぬは二度め也

新婚さんはいつの世もぬか味噌の匂いになれるまでに時間がかかるものである。それを嫌がらずにてきぱきとこなすところを見ると初婚ではないなということ。
江戸時代では初婚であろうと二度目であろうと三度目であろうと女は堂々としていた。江戸では女性の絶対数が極端に少なかった。だから女は引っ張りだこですぐに結婚相手が見つかった。歳の差なんか問題ではなかった。

大奥はもとより各藩の抱える女は想像を超える数であった。その上遊里は大きなところでは一所で5000人をこす人数を集めていたという。
江戸の男衆は一人者が多かったわけである。江戸時代は男も女も大変な時代であった。単純に昔はよかったなどとは言えぬ。


 「ぬ」の2 盗人(ぬすびと)

盗人はせがれ同類女房なり      親の金を持ち出すのはいい方だ。

こなたまでぐるだと母は叱られる   母は甘い、だからぐれずに立ち直る。

よくしめて寝ろと言ひ言ひ盗に出   しっかり者だ、これでないと。

夜寝なぞする盗人のなまけもの    気楽な稼業ときたもんだ。

盗人のたけだけしきは袴着る     背広着て税金をピンハネ。いるいる。




いろはカルタ 「ぬ」 江戸と上方

盗人の昼ね(江戸)

『盗人が夜かせぎのために昼寝をすることから、何気ないふりをして、その実目的があるのにいう。』

「盗人のたけだけしきは袴着る」平安人もうまいことを言う。
「盗人と智者の相は同じと云えり」まさに至言である。
盗人の昼寝などは、今は昔の語り草。現代は「盗人の開き直り」といった方が納得される人が多いのではなかろうか。

昼寝をするような盗人はたかが知れた小悪人、今は白昼堂々の盗みを仕事として、問題になると「国民のため」私は権力と闘うと。
国民のためなどと口が裂けても言って欲しくないな。「極一部の国民のため」と正確に言って欲しいものだ。


糠に釘(上方)

 〖豆腐に鎹に同じ(上方)いかに意見を加えても、少しもそのかいのないこと。〗

人は他人から少々な意見をされたぐらいで変わるようなことはない。変わるどころか、反発をすることの方が多い。
 
九州、特に福岡県における飲酒運転による事故は後絶たない。この傾向は全国的な問題であるが、福岡県が特別話題になるのは公務員による飲酒運転の違反がよく摘発されることによる。

 糠に釘の代表格が「酒」で次いで、「男と女」、「パチンコ」、「競馬競輪」「金銭にまつわる汚職」と続いていく。
 これらの原因は、快感ホルモンが脳から出るということで一つの病気となってしまうようだ。いったん堕ち込んでしまった場合はどのようにしてそれから脱出するか、軽度の場合は周囲の協力と本人の努力で解決できるが、重症になった場合は専門医の治療が必要になってしまう。
 そうなる前に生活習慣の改善を心がけ、正常な日常生活を志すことが基本である。





2018年2月19日月曜日

「り」江戸川柳 色は匂へ 律義 & いろはカルタ随想
 

りちぎものまじりまじりと子が出来る

 いろはカルタに律義者の子だくさんという札がある。

 まじりまじり(まじめくさって)と子が出来ると言いますが、まじめ人間ですから変な遊びもしないで家庭生活第一に全力で暮らしている。

 律義者でまじめ人間が多かった時代は少子化問題に悩まずに済んだ。いまの少子化対策の第一歩は律義者でまじめな人間を育てる教育に取り組まなければならない。まさか。


「り」の2 悋気(りんき)

寝たきりでいるはきれいなりん気也    可愛いね。

りんきにも当りでのある金だらい     斧がとぶ現代は怖い。

りんきのそれ矢戸障子へあたる也     八つ当たり、ごもっとも。

それ矢=狙いからそれて他の方へ飛んでゆく矢。流れ矢。

悋気、嫉妬、やきもちなどと言う言葉が懐かしい時代になった。今は何も言わずにバットで殴られたり、斧で殴られたりする時代になった。可愛いやきもちなんて夢のまた夢。寝たきりをして色よくやかれるなんて、いいじゃない。


いろはカルタ 「り」 江戸と上方

律義者の子沢山(江戸)

 『律義者は遊蕩にふけることもないので、自然こどもも多く生れる。』

 いろはかるたの中でも、律義者の子沢山は現代人には理解しにくいものの代表格になったようである。
 第一に「律義者」というイメージが現代人には想像しにくい。「まじめ人間」と言いかえても、少し意味がちがう。
 「子沢山」というのもめずらしくなった。「貧乏人の子沢山」という社会現象の方がまだぴんとくる。

しかし、これも本当は、子沢山の貧乏人と言った方がいいのかもしれない。労働者にとって、二人の子どもを育てあげるのは現在では大変なことである。

綸言(リんげん)汗のごとし(上方)

 
〖(礼記)(漢書)天子のことばの取り消し難いこと、出た汗がもとにかえらないのにたとえる。〗

 なんとなんと、政治家や組織のリーダーの失言の多いことに驚いている。今しゃべったことを数時間後に取り消したり、訂正したりと大忙しである。

 上に立つ人は、往々にして権力を持ったと勘違いをして「思い上がった発言」が命取りになることがある。

 一般庶民とかけ離れた生活をしているのであらゆることについてその価値観がまるで違う。特に金銭感覚などは一般庶民とは大きくかけ離れている。億単位での金の動きが当たり前と思っている。だから数千万円の金など意識の中にない。

 かなりの人数の歴代内閣総理大臣をみてきたが矍鑠とした心に残るリーダーはそうはいない。しいて言えば、中曽根康弘内閣総理大臣が一番に頭に浮かぶ。本当の姿は分からないが、公的な報道を通してみる限り好印象で心に残る一人である。

 今も(平成26年)92歳で矍鑠とした対応をしているのが頼もしい。




2018年2月10日土曜日

「ち」江戸川柳色は匂へ & いろはカルタ随想

「ち」 千 代 

 お千代さん蚊やが広くばとまらうか

 女流俳人の加賀の千代さんの句を知っていなければ面白くない。

 起きて見つねて見つ蚊やの広さかな  加賀の千代

 江戸の言葉遊びは相当なレベルのものであった。
 加賀の千代のよく知られている句。

 朝顔に釣瓶とられて貰ひ水  加賀の千代

 翌年は千代井戸端を去って植え

 貰水をしなくて済むように井戸端をさけて朝顔を植えたことであろうと。了解。


「ち」の2 智 恵

 後悔と連立って行く下司の知恵   絞って出した知恵に苦しむばかり。

下司(げす)の知恵=諺に下司の知恵は後から出る、あるいは後の悔やみ。

なろうならせめて文殊の無分別   三人寄っても知恵はない。

何と知恵がと悪いちえを出し    悪知恵はよく出るもんだ。

朝帰り行く時ほどの知恵は出ず   何かしでかそうとするときはよく出る


「ち」 いろはカルタ随想

塵もつもれば山となる。(江戸)

『ごくわずかなものでも数多くつみ重さなれば高大なものになる。』

テレピ放送で、中国の世界的チェロ奏者ョーョーマの独奏を聴いた。演奏終了後のインメビユーで。

 「あなたの一日の練習時間はどれほどでしょうか。」

 司会者もそうであったろうが、私もこれ程の奏者だからさぞかし厳しい練習をしていることだろうと推測して聞き耳を立てた。

「毎日十分程度です。」

 司会者も私も「えっ」と耳を疑った。
 「三才頃より、今日まで、毎日欠かしたことはありません。」

 まさに、学習というものは、これでなければだめなのだと実感した。
一夜漬けのテスト対策の学力では世界に対抗することは無理な話である。

地獄の沙汰も金次第。(上方)

〖どんな難事でも金さえあれば自由になる事にいう。なるもならぬも金次第。〗

 ある女医さんの家庭における教育方針に、母親が絶えず言い聞かせていた言葉があるそうだ。

 「この世の中でコネと金があれば99.9%は叶わないことはない。」と。

 確かに名言である。ただそれで本人が幸せに暮らしていけるかとなると一概にそうとは言えない。

 「一寸先は闇」の世の中であることが99.9%の成就を一度に覆してしまうところが人生の面白さかもしれない。

 金のない人間には金持ちの気持ちは分からないし、金のある人間は、また金のない人間の気持ちは分からない。
 男が女を理解できないように女もまた男を理解できない。そのような部分を人は多く持ちながらそれなりに理解か誤解か分からない理解をして人生を送っているような気がする。
ほとんどのことが分からないまま分かった気持ちで暮らしている自分を発見して驚いている。



2018年2月3日土曜日

「と」江戸川柳色は匂へ & いろはカルタ随想

  江戸川柳 色は匂へ 「と」 友達 

  母の気に入る友達のやぼななり

 今も昔も母親の気持ちは同じ。服装などには大して気にかけず地味で質実な身なりの友達は母親に信用される。

 髪形や服装、そして言葉遣いと母親は一瞬にして友達の人間性を見抜いてしまう。野暮っぽい友達に間違いはない。粋なイケメンは息子に良い影響を与えない。それほんと。



いろはカルタ 「と」 江戸と上方

年寄の冷水(江戸)

『老人に不相応なあぶないことをするたとえ。老いの木登り。』

 後期高齢の仲間入りをする頃から、足の筋肉、特にふくらはぎの皮膚から、チュッとほんの少し冷水が飛び出るような気がする時がある。手で触ってみても濡れてはいない。
 たびたびこのような感覚に襲われるので、ひょっとすると「年寄りの冷水」のことわざと関係があるのではないかと珍説を考えている。

「すべての人間は、例外なしに幸福を求めている」
スイスの法学者であり哲学者であるヒルティは、幸福になるための人生の段階を示している。人は生れながらに、それぞれの時期にそれぞれの目的を持っている。幼年時代は子供らしさ、青年時代は初々しさと活気と実行力、成人は思想と感情の円熟。そして、老年時代へと突入して、本当に幸福な生活を送ることができるとしている。
この段階を確りと踏んで年寄りになっていれば「年寄りの冷水」の心配は必要ないのかもしれない。
 

豆腐にかすがい(上方)

〖いかに意見を加えても、少しもそのかいのないこと。糠に釘。〗

 人は他人から少々な意見をされたぐらいで変わるようなことはない。変わるどころか、反発をすることの方が多い。

 日々の新聞やテレビのニュースを見ていると実に多くの「豆腐にかすがい、糠に釘」的な事件が報道されている。
 覚せい剤、不倫、詐欺、政治資金の不正利用、飲酒運転、交通事故などと数え上げればきりがない。

朝寝朝酒   朝湯を浴びて あとは書斎でネ   
昼寝する   ダンチョネ
可愛いもんだね。